day203 地獄絵図
29回目の日曜日。
あらためて、地獄ってなんだ。
ググったらこういう地獄絵図が出てくる。これは仏教徒だけのものなのか?
少なくとも神道では黄泉の国(あの世)という概念はあるけど、地獄=悪いことして落されて罰を受ける場所という感じはないと思う。キリスト教にも地獄はあるよね。
悪いことをしたら地獄という怖いとこに行って罰を受けるということで、この世の人間への戒めになっているのだと思う。地獄の概念も天国と同じく、人間が作ったものだ。
私はただただ、地獄などない、死んだ人が地獄に行くことなど存在しないと信じたい。死は本当に消えてなくなるだけだと思う。
私が望むことは、のぶが(地獄に行くことはないとしても)死んでからも苦しむことなど絶対にないようにしてほしいこと。地獄など空想だということ。ないものを「ない」と証明することはほぼ不可能なのだけど、ないと言ってほしい。
(だから生きている遺族が善行を積んだりお布施したりして死んだ人を天国に行かせてあげようという、怪しい宗教のような言うのも間違っている。そういうこと言う人は縁を切る。死が無なのだから天国もない)
のぶはこの世でずいぶん苦しんでしまった。私もこの世で苦しんでいる。だからここが地獄という場所で良いと思う。のぶはこの世から離れることができたのだ。あの地獄絵図の炎の中にいるのは私の方なのだ。
嘆き悲しんだり、死のうと思ったりとしたら、のぶが悲しむよなんて、勝手なことを言う人が多い。のぶはもう何処にもいないんだよ。無になったんだ。のぶは過去の人間だ。もう無になったものの記憶を抱え、私は現在と未来を、のぶ無しで生きていく。私の記憶の中にだけ存在し、いずれその私も無になるんだ。
これだけは言いたい(誰も聞いてないけど)。勝手に死んじゃだめだ。愛する人を生き地獄に堕とすよ。