まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day180 罪罪罪

180日経った。半年。180日、私は虚無に耐えて来た。

 

お盆にはのぶは帰ってくるのかな。どこにいるんだろう。私が行っても良いんだけど、どこにいるかわからないので、出向いても会えるかどうかわからない。

 

とは思うけど、のぶはもうどの世界にもいないことはうすうす分かっている。死とはやはりきれいサッパリ消えてしまうことで、魂も含め、もうどこにもいない。死後の世界や魂や天国の概念は、生きている人だけの気持ちだ。

 

早く会いたい。それか、全く忘れてしまうかのどちらか。

 

今の私は何か自分から動く気がしないので、ただただ受け身の毎日。税金や光熱費や食費を支払うために製作の仕事をするだけだ(あまり考えなくて良い、慣れた針仕事を中心に)。

 

子供の頃から親に愛された記憶がない。もちろん世間体があるから、虐待やネグレクトはされてないし、行きたい学校までお金を出してくれた。

 

でも、いつも怒られてばかりいた。記憶がある3歳くらいの頃から、悪いことは全て自分がやったんではないかと言う罪悪感があった。例えば学校のガラスが破られたとか、同級生のノートが盗まれたとか、自分が犯人ではないのにいつ犯人だと言われるかと怯えていた。実は現在でもそう思う傾向があって、ニュースでひき逃げ事件があったりすると、自分がやったのではないかとビクッとする。事件現場を通ってないのに。

 

親に怒られてばかりで、私の言い分は全く聞き入れられなかった子供の頃の体験が、自己肯定力をここまで低くしたのかと驚いてしまう。大人になっても母は、男子として生まれなかった(男の子だろうと思い込まれ、男子の名前“たけし”しか用意されていなかった。ちなみに私の本名は姉の持っていた人形の名前から適当につけられた。)私を見下しているので、50年以上ほとんど褒められたことはない。誰かと一緒に暮らすのは無理と思っていたけど、のぶは私をいつも褒めてくれて、存在を認めてくれた。亡くなる前日、「まごころ(私)が必要だ」とメールが来た。ようやく、生きていて良いんだと思ったのに、その生活すら壊れてしまった。

 

天国や生まれ変わりとかは、人間が作った都合の良いものに過ぎないけど、それでも信じてしまうのは、あまりに辛いこの世を何とか生きていく知恵なのかもしれない。

 

次にご縁がある猫は、のぶの生まれ変わりかもしれないと思う。のぶはいつも猫はいいなあ、猫になりたいなぁと言っていた。もちろん生まれ変わりを信じてはないけど。思うだけならいいよね。

 

いつ出会えるんだろう。