まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day154 人間関係

22回目の日曜日。

 

あの時の、時間が全く進んでくれないような苦しさから比べれば、どんどん時間が早くなっているような気がします。ただ、苦しさは形を変えていまも変わらずあります。

 

「いまは何もできないから許してもらおう」と、動けないこころはまだ変わっていません。ただ、生きて行くための活動はしなければならないため、形だけは社会復帰を、半分くらいはしているかもしれません。個人事業者であるのが幸いしています。

 

でも相変わらず人とのかかわりは避けています。誰かにのぶのことを語ることは避けています(だから書いているのかも)。もともと社会性もないし友人もいないし愛想がないけど、きっと知人たちはもう私も事は忘れているかもしれません。

 

一方でそれも困るなぁと思います。今は母の介護という名目で買い物に行ったり実家のご飯を作ったりしていますが、それも母が生きているうち。母は83歳なので、いずれ見送るでしょう。私が先に逝くのは親不孝だなぁと思います。でもそのあとは本当に1人になると思います。孤独死して発見まで何か月も経ってしまうのも考えられます。高齢者なら介護関係の公的支援があるでしょうけど、まだそれほどの年齢でもないし。どこかお金を払って、生存確認やら孤独死を見つけてくれるそういうサービスがないだろうか。猫も心配だから、私が死んだらどこかに預けたいし。

 

社会とのつながりを持たなくてはいけないなぁと思う反面、いまは本当に誰かと話すのが億劫です。それはやはり、のぶが亡くなってすぐの時に、友人知人関係者に、それを伝える作業の途中である人からの対応が、相当トラウマになっているからです。

 

その人には、のぶの遺した、のぶのお母さんが飼っていたワンちゃんで、どうしたらいいか方々で訊いた件です。犬のこと、保護のこと、詳しそうな人に電話やメールで訊くときに、どうしても事情を詳しく話さなくてはならなかったのだけど、ある保護活動家の人(保護猫である私の愛猫の橋渡しをしてくれた人)が、ワンちゃんの行先を探す頼みに対して、最初笑いながら対応したことで疑問を感じ、その後、逼迫した事情を説明したところ「あなたは異常だから信頼できない」「なんなのこの人!もういや!」とヒステリックに怒ってLINEをブロックされてしまい、連絡を取れなくなってしまったのです。

 

同情しろと言った訳ではなく、しっかりした老犬ホームを知らないかどうか、保護活動をしている人に訊きたかったのに、ただただ虫の居所が悪かったのか、泣いた私がだめだったのか、私の訊き方が悪かったからか、のぶの死すら気持ちが悪いと言われてしまったのです。(残念ながらワンちゃんはほどなくして亡くなってしまいました)

 

夫を亡くしたばかりの人にそんなことを言う人は稀有でしょうし、そんな人に自分の事情を話してすごく後悔していますが、これも起きてしまったことなので仕方がない、私は夫と夫の犬の命を軽んじた彼女を一生許すことはできないし、心底軽蔑しているけど、そのせいで、もう誰にものぶのことを話せなくなりました。人間不信になりました。

 

のぶとともに、わたしは多くのものを亡くしてしまったようです。これからどうやって生きて行こうかと考える果てには、やはりもう生きて行かなくてもいいや、と悲観的に思ってしまうのです。