まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day173 義母

2015年12月にのぶのお母さんが亡くなった。81歳だった。

 

実家でひとり暮らし。24日の深夜か25日の未明に倒れ、朝訪ねてきた近所の人に発見されて救急搬送された。

 

25日は平日だったけど、のぶは体調が悪く会社を休んで朝から家で寝ていて、私はお風呂の掃除をしていた。そこに救急病院から電話があり、急いで病院に向かう。お母さんは低体温で意識がなく、ICUで手当てを受けていた。夜までそこで意識回復を待ったけど状況は変わらず、一旦帰宅。26日の早朝、最後のお別れに来院して欲しいと連絡があった。

 

結局お母さんの意識は戻らずに逝ってしまった。私も後悔ばかりだけど、のぶの悲しみは何よりも深かった。今思えば、のぶの体調が徐々に下降していったのはこの頃からだと思う。

 

のぶは母親思いだった。苦労をかけたと思っていたに違いない。でも、のぶは(こんな何もできない女とだけど)結婚もしたし、結婚式にも出席してもらえたし、同じ町内の徒歩5分くらいに住んで、週に一度は実家に泊まりにいっていた。なんとか心配のない老後を送って欲しかったと思う。

 

お母さんが居なくなって、のぶは人生の虚しさに気がついてしまい、思い悩む日々を過ごすようになってしまった。ひとりじゃないよ、と私はいつも言っていたつもりだけど、のぶの悲しみは心の奥底で深かったのだと思う。

 

のぶにとっては母というものは別次元の神のような存在だったんだな。私はわずか2年ほどの嫁で、本当に何もしてあげられなかった。私もいま、人生の虚しさをしみじみ感じている。

 

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翌年、2016年7月2日はお母さんの初盆のため、実家を片付けた、とFacebook日記に書いてあった。

 

片付けの際にでっかいくもが出て私はギャーっとなったけど、のぶが「ご先祖さまだよ」と言った。

 

のぶの祖父母、両親、のぶ、ワンコ、此処に住み人生を過ごした人たちはみなもうこの世にはいない。

 

血の繋がりのない、わたしが眺めているだけだ。