まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day106 古いもの

のぶは古い文化が好きだ。

 

落語や寄席、演歌、昭和歌謡、時代劇、昭和の映画、クラシック…。

 

1963年生まれだけど、「好きなもの」で括ったらもうちょっと上の世代の好みだと思う(私の姉がのぶとだいたい同い年だけど、好きなものの傾向が全く違う)。

 

どうやら育ちにあるらしい。のぶの両親は共働きだった。当時としては少数派だったかも。のぶは、同居していた父方のおばあさんに育てられたと言う。だからおばあさんの好みがバッチリのぶの好みになっているのかも。

 

のぶのお父さんはたびたび出社拒否があり(いまなら何らかの適応障害だったと思えるけど、戦後間も無くの頃はそう言う概念もなかったんじゃないかな)、その度お母さんが苦労していたようだ。後年、お父さんが自宅のトイレで倒れ、意識の戻らないまま数年間入院した時も、お母さんは毎日病院に通ったそうだ。私がのぶに出会った時はすでにお父さんは亡くなっていたけど、のぶが言うにはお母さんに苦労をかけたお父さんは嫌いだったと言う。だからのぶはお母さん孝行だった。

 

のぶが幼稚園で延長保育でひとり夕日を見つめながら、5時の時報の音楽を聴きながら、母の迎えを待っていた話をした時は涙ぐんでいた。

 

そんなお母さんが2015年12月26日に81歳で亡くなった。実家でひとり暮らしだったけど、おそらく脳卒中か何かで夜中に倒れ、翌日の朝、訪ねてきた近所の人に発見されて救急搬送された。1日ほどICUで手当てを受けたけど、意識が戻る事はなかった。

 

のぶはそれから落ち込む頻度が多くなった。悲しむのは当然だろう。自分たちにできる事は極力やろう。お母さんが飼っていたダックスのラブちゃんを大切に可愛がろう。お父さんが亡くなってから10年くらいは自由気ままに暮らしていたと思う。ひとり息子の花婿姿も見られた。出来るだけの事はした。それでも十分なんて事は言えないんだと思う。

 

のぶは子供の頃がいちばん幸せだったと言う。学校に行って、勉強して給食食べて遊んで家に帰って、TV見て寝る。難しいことを考えずに楽しく生きた小学生の頃に戻りたかったんだよね。

 

2018年に母校の北小学校が統廃合で閉校になった。私も閉校セレモニーの日にのぶと一緒に学校に行った。ここが1年生の時の教室、ここが6年生の時の…。懐かしそうに説明してくれたね。

 

いまはのぶの魂は小学生の頃のように自由な存在だ。きっとおばあさんや両親にも会えたよね。あの頃に戻って欲しいよ。