まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day349 2015年のクリスマス

2015年の12月25日の朝は最悪な知らせで始まった。

 

義母が自宅で倒れているのを近所の人が発見し、救急車で運ばれたという電話だった。

 

のぶと私はすぐに救急病院に向かった(義母は意識がなかったけどかろうじてまだ息はあったけど、対面の前に警察から事情聴取されたのにはちょっと驚いた)。

 

実家で一人暮らしだった義母。実家は築60年以上でとても寒い。サッシではなくいまだに木戸だったので、ストーブのない場所はとても寒い。倒れていたのがトイレに続く廊下の横の土間だったので、急激な温度変化による脳梗塞か心臓発作かと思われた。朝までその場に倒れていたので低体温症になっていた。腎臓もかなり悪くなっていたようだ。

 

私は猛烈に反省した。もっと体調に気を使ってあげればよかったと。のぶは毎日会社帰りに実家に寄っていたし、つい2日前の天皇誕生日にも一緒に外食に行った。のぶに任せっきりだった自分を責めて、祈った。

 

しかし結局、意識が戻らず、朝に運ばれてから夜まで待機していたけど、のぶと私はいったん家に帰ることにした。そして眠れない翌朝6時くらいに、亡くなったと病院から電話があった。

 

たぶんとても苦労してのぶを育てたのだということはわかっていた。のぶに会う前にすでにのぶの父親は亡くなっていたけど、長いこと介護したと言っていた。私が義母の人生がどうだっだかなどいう権利はこれっぽっちも無いけど、結婚をとても喜んでくれたことだけは幸いだったと思う。結婚式に参列してくれて本当によかった。

 

もっと親孝行はすべきだったと思う。ほとんど何も出来なかった。だからこそのぶを幸せにしたかった。

 

のぶは義母の死以来、落ち込むことが多くなったと思う。会社を休む期間が年々増えて行った。どうやったら救えただろうと、どうしようもないことを考えてしまう。いまはのぶ一家はみなで楽しく暮らしているだろうと、思うしかない。