まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day133 梅雨の晴れ間

19回目の日曜日。

 

自責の気持ちはだいぶおさまって来たけど、土日はやはり辛くなってしまう。

 

私はのぶを一人にしてしまったし、助けてあげられなかった。たったひとり苦しんで亡くなってしまった。

 

私自身が死ぬときは(ずっと先だと思っていた)、病院かどこかでのぶに手を握ってもらって死にたいと思っていた。のぶは長生きすると思っていた。図々しいけどそう言うものだと思っていた。でものぶには誰も手を握ってあげられなかった。寂しかったね、辛かったね。土曜日に私がもう少し忍耐力があって、のぶと一緒にいたらそんなことにはならなかったのかもしれない。

 

でも、と、自分で自分を庇う考えが自己弁護する。あのとき私は疲弊しすぎていて、限界に近かった。のぶのため自分のため、すこしのぶから離れて頭を冷やすのが最適な選択だと思っていた。ぴったりくっついていると大切なものが見えなくなる。現に私は見えなくなっていた。これ以上のぶのそばにいたら、自分の辛さを全てのぶのせいにして責めてしまうだろう。あのとき顔を突き合わせていたら、言い合ううちに別れを選択してしまったかもしれない。のぶは喧嘩はしないから、私が一方的にのぶを責めてしまっただろう。

 

のぶが会社に行けない(収入がない)のはのぶのせいじゃ無いのはわかっていたのに、のぶが私よりずっとそのことを深刻に考えていたのに、私はウンザリだと思ってしまった。時間は戻らないし、過去は変えられないし、もし奇跡が起きてやり直されたとしてものぶの寿命は変わらなかったかもしれない。でももし戻れるなら、私は私の行動を阻止したい。何がなんでもそこは耐えろと言いたい。自分の行動が家族を不幸にするのはやめてくれと自分に言いたい。

 

だから私は土日は自分を贖罪の日として、のぶの苦しみに向き合っている。いつか自然に笑える日も来るかもしれない。でも土日はのぶの代わりに苦しみを背負いたいと願っている。そのくらいしか自分にできることが思いつかないからね。

 

人間はみな罪を背負っている。

 

許されたらのぶが迎えに来てくれるといいな。