まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day69 彼岸

今日は春分の日。彼岸のお中日です。のぶの初彼岸です。生きているものの都合でお墓参りは明後日になってしまいますが、必ず行きます。今日はお仏壇にのぶの好きなお団子と私が作ったシフォンケーキ&セブンカフェを供えました。

彼岸は「悟りの世界」という意味のようです。対して私がいる世界は「此岸(しがん)」。そういうことさえ最近知りました。

のぶやのぶのご先祖の実存証拠(遺骨)はお墓にありますが、魂はあの世…まさに彼岸にいるのでしょう。そしてお盆にはまた家に帰ってくるのかなぁ?

最近思うのですが、のぶはこの世のシガラミや物質から解放されて、痛みや辛さのない存在になったと思いますが、私を迎えに来ることはないんじゃないかと思います。

のぶは長い独身時代、人生を謳歌していました。一人で日本中をバイクや車で旅行に行っていたし、一人が気楽で結婚に前向きになれなかったようです。なぜ結婚したか、というのはやはり将来への不安で、兄弟も子供も(父方の)いとこもいないので、孤独死を避けたかったのでしょう。まさにのぶの希望は叶い、私がのぶのたった一人の遺族としてのぶの遺した正や負の遺産を受け取って清算する日々が続きます。

結婚前に浜松に家を借りで2人で住み始めてから初のお盆も、のぶは一人で長野旅行に行ってしまったし、年末も伊豆の温泉に一人で行ってしまった(毎年の恒例だったというけど、私は出かけるその日の朝に聞いた)。さすがに結婚してからは黙ってどこかに一人で旅行に行くことはなくなったけど、自由な生活を奪われたとは思っていたはず。

もちろん私も、のぶといた10年で3回くらいのぶを置いて海外旅行に行っているので、お互い旅行は全然OKだと思うけど、当時の私はのぶが勝手にどこかに行ってしまうことが寂しかったんである。私は両親から愛されて来なかったという自覚があって(現実はどうであれ)、特に長いこと没交渉だった父親=男性に置いていかれてしまうのはトラウマ並みの恐怖だったと思う。

今回も、のぶは勝手に出かけてしまった。戻ってくることはない旅に出かけてしまった。あんなに、出かけるときは事前に言ってほしいと言っていたのにもかかわらず。のぶの人生、のぶの寿命だからのぶの好きにすればいい。けど、残された私はやはり此岸で泣くしかない。

”私はお墓にはいません”の「千の風になって」のように、好きなところを飛び回っていて、自由を謳歌しているかもしれない。

楽しくて私のことを忘れているかもしれないと思う。だから思い出させるために、私は仏壇に手を合わせるし、お墓参りをするし、いつも考えている。どうかのぶだけは私を忘れないで欲しい。迎えに来てほしい。