day70 心の奥
雨の日曜日、10回目の日曜日。
なるべく心の奥を、誰にも知られないようにしているつもりです。だからここで「王様の耳はロバの耳」のように、書いて済ませています。書いては泣き、書いては泣き、のぶを思います。
よほど心を許した人でない限り、多くは語らないように努めています。語ったら涙が出てしまうし、そんな他人が困るような迷惑なことはしないようにしています。
だって、他人は私になど全く興味はないし、あったとしても興味本位程度のものです。みな、自分のことでいっぱいいっぱいです。その人にはその人の地獄があるのでしょう。
いちばん身近にいるはずの実母ですら、世界で一番大切な人を亡くした私の悲しみよりも、自分の腰が痛い方が辛いと言います。私は実母の病院にもついて行って医者から説明を聞いていますが、彼女の腰はただの運動不足による筋肉疲労で、ギックリ腰でも骨折でもありません。年寄りなので骨粗鬆症気味ではありますが、医者からすれば「直ぐに治る」ものでリハビリすら必要ないと言います。それが私の苦しみよりも上と言うのです。
私は実母の前でも苦しみを口にしません。言葉にならない感情といえばそれもそうですが、自分で必死に自分をこの世に繋ぎ止める努力をしています。側から見れば何もせずぼーっとしてる人間でしょう。でも本当は激しく闘っているのです。実の親ですら、それを見ないし理解しようとはしません。自分の方が痛みで辛いと口に出して言っている人間には、他人を思いやる気持ちなど無いでしょう。ほとほと世の中が嫌になっています。
そう言う意味でも、のぶは私の一番の理解者でした。のぶはいつも私を気遣ってくれていました。何でこんなに他人の痛みに寄り添ってくれる人が居なくなってしまったんだろう。失ってしまったんだろう。のぶは自分の苦しいことをほとんど口にしなかった。
私ものぶを最優先に気遣っていたつもりで、理解の努力をしていたつもりだったけど、たぶん全然足りなかったんだと思う。私はのぶより先に死にたかった。寿命が1日違いくらいだったら良かった。私が代わりに死ねばよかった。のぶの方がこの世に必要な人だよ。
世界が真っ暗になってしまったこの2ヶ月半、多くの人に気を使われて親切にもされたけど、理不尽さもたくさん味わっています。
のぶが亡くなって2週間は、すべての手続きを一人でやらなくてはならなかったので、ほとんど記憶がないほど忙しく次から次へと片づけなければなりませんでした。いま思い出すと、悔しいや悲しいやら、涙が出ることもあります。
例えば、知人Aさんにのぶが亡くなったことを伝えたとき、お線香をあげさせてほしいと言われた時。まだのぶが亡くなって1週間、正直忙しくて家の中も私の心もグチャグチャで、親類以外を家に上げるのは無理かとも思ったけど、どうしてもというので了解しました(Aさんはのぶに会ったことはありません)。
その後「友達と一緒に行ってもいい?」という連絡がありました。私はその場に崩れ落ちました。これは私の弱り切った心ではどうしようも対応ができないことです。どこが悪い?と思うかもしれません。でも、心に土足で踏み入れられた気がしました。その「友達」というのは、のぶはもちろん私自身ですら良く知らない人で、一度Aさんと一緒に会ったとき、話しかけても返事すらしてくれないような人だったので(どうも嫌われているらしい)と思った人です。そんな普段でもしんどい人に、遊びついでに来てほしくなかった。のぶの聖域に入ってほしくなかった。非常識と言えば非常識なだけだけど、やはりそれは遠慮すべき事案でしょう。逆の立場なら、私は絶対できません。
もともとAさんは良くわからない人で、去年引っ越した時から今の今まで、訊いても新しい住所を教えてくれません。私が嫌われているか信用されていないだけだと思うけど、それなら関わらないで欲しいのです(仕事関係とか、絶対に避けられない関係でもありません)。彼女のブログでは、新しい引っ越し先に友人が来てワイワイやっている記事がアップされているので、たぶん私は蚊帳の外、気を使うような人間ではなさそうなことは確かです。自分のせいとはいえ、悲しいです。
単純かもしれないけど、冷たくされれば絶望するし、優しくされれば感謝する。心が弱り切っている人間はそんな単純なもんです。今回、私がこういう苦境に立たされて通常ではない状態で、離れて行った人は多いです。自分の人望のなさに呆れ果ててしまいます。そんな人生は捨ててしまった方がいいだろうか。毎日毎日自問自答しながら、のぶを供養することだけが生きがいです。