day62 忘れること
のぶの死から62日経ち、少しは心穏やかにな…らない。
のぶの死から1か月はやること必須でものすごく忙しくて、毎日緊張の糸が張りつめていたけど、緩み始めた今頃が一番ヤバいかもって思う。
家族・親類は、私がのぶの後を追って死ぬんじゃないかと思っていたらしい。でも、忙しすぎて(あれをやるそこに行くこれを出す、のような義務感があったから)自分の気持ちに向き合うなんてことはこの時期はなかった。
そろそろ周りの人は、のぶが亡くなったことを忘れ始めている。私が最愛の夫を亡くした哀れな人ということに気を留めなくなっている。当然だ。誰だってそんなに他人にかまっていられない。
孤独と喪失感は今頃やってくる。自分でわかる。ああ、このままいくとうつの方向に行くなって。一応、それにあらがう方法もなんとなくわかっていて、無理やり自分で自分をこっちに引っ張る。ただ好きなアーティストの曲はまだ聴けないし、どうでもいいTV、映像、本、いっこうに頭に入ってこない。ただ通り過ぎるのみ。
人に会うのも外に出るのもおっくうだけど、イヤイヤでもやってみると忘れられる。単純作業に熱中していてもその時だけはのぶのことを考えずに時間が経つからいい。
結局私はのぶに依存していたのだろうか。居ないとダメなんだろうか。だったらもっと優しくしてあげればよかった。寄り添ってあげればよかった。でものぶは一人でいた方が楽だったのかも。せっかく極楽浄土に行ったのに、ずっと泣いている私をウザったく思っているかも。もう訊くこともできない。
今こうやって毎日、悲しくなったり、平常になったりを繰り返すことを、書くことでしか吐き出せないのだけど、いつまで続くのか、予想もできない。のぶを忘れることはできないから(見るものすべてがのぶを思い出させてしまう)。
特に土日は地獄のよう。わかっている、自分でわかっているのだけど、自分の気質はなかなか変えられない。
のぶのいつも言っていた。自分の悪い考え方を変えられない。変えられればいいのにと。
無神経で鈍感力が強いバカになれればよかった。のぶも私も。余計なことを考えすぎて、自ら悪い気を呼び込んじゃった。
変わりたい。変わらなきゃ。
いま私の天使は愛猫たち。この子たちのために生きないと。この子たちだけでも幸せにしないと。だからまだ死ねない。