まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

20日目。罪悪感

おそらくのぶの死を「お前のせいだ」と言う人はいないでしょう。

 

でも私は自分のせいもあると思っています。最も身近にいた家族として、配偶者として。

 

のぶは割と長い間、体調不良でいました。でもちゃんと病院には通っていて、快復したり、またぶり返したりを繰り返していました。これが命を奪う原因になったのかはわかりません。のぶの遺体検案書に書かれた直接の死因はそんなに深い理由原因を語っていないと思います。

 

2021年1月10日がのぶの寿命だったとしても、運命を変えられなかったにしても、私はもっと寄り添ってあげたかった。でも私は前日からそばにいなかった。心もそばにいなかった。

 

私はいろいろな理由で、疲れ切っていたのだと思います。多分正常ではなかった。だから前日にのぶと喧嘩して家を出てしまった。夜に電話とメールで長い時間話し合ったけど、私は少し離れたい事を伝えた。これはのぶを嫌いになったからではない。このまま一緒にいたら、私はのぶを言葉や態度で傷つけると思ったからだ(おそらく少し限界に近かった)。傷つけたくないから、少し冷却期間を置きたかった。それでやり直すつもりだった。でも間違った選択だった。

 

のぶは電話の最後に、明日そっち(65km離れたアトリエ)に行くから。心配だから、と言った。それが最後の言葉だった。

 

次の日になり、のぶは来なかった。朝、電話すればよかったと、いつまでも後悔がグルグルする。朝、のぶはマンションで洗濯をして、干して、それからアトリエに向かう予定だったのだろう。何も知らない愚かな私は、のぶが倒れた時間もアトリエで仕事をしていた。私が送った「何時ころ着く?」というメールは既読にはなっていたけど、返信はされなかった。

 

「戻ってきて」という私のメッセージは既読にならないままだった。

 

ごめんなさい、もっと私がなんとかしてあげられたら、という罪悪感になかなか正面から向かい合えずにいる。のぶが許してくれるという言葉は一生聞くことができない。

 

10年間、私のためにいろいろやってくれたのに、私は困らせてばかりだった。この世で幸せにしてあげたかった。もっと私が頑張ればよかった。我慢が足りなかった。何言っても戻らないのが辛い。

 

私は一生、のぶにしてあげたかった、してあげられなかった事を空想して生きていくしかない。