まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day353 アトリエ

いま現在私が住んでいるアトリエは、2005年に完成した小さな家。1階が仕事場と小さなギャラリー、2階が1LDKの住まい。

 

もとは60年ほど前、母が退職金(祖母がやっていた自営を手伝っていた)で購入した土地に、父名義で小さな家を建て、ここに住んでいた。姉も私もここで生まれた。その後、すぐ近くの土地を買って新しい家を建てた(父方の祖父母と同居するために大きな家が必要だった)。


引っ越し後に空き家になった家は人に貸したり、姉が結婚後に数年住んだりしたけど再び空き家になり、私が仕事場として使っていた。そうしているうちに製作の傍ら始めたネット通販が忙しくなり、手狭になったので建て替えることに。2000年代初めころに海外から商品を取り寄せネット通販していたのはけっこう早めだったと思う(まだあまりPCが使えなかったので、海外への発注はほとんどFAXでやっていた)。


土地は父名義のままで、自分名義のアトリエ兼自宅を建てた。初めて自分名義の物件と借金(ローン)。設計にはかなり自分の意見も入れてもらい、ギャラリーにはアンティーク家具を置き、理想の城を作ったつもりだ。「自分はきっと結婚しないし子供も持たない」と思ったので2階の自宅は、1人用の1LDK。35歳くらいのこと。ローンも返し、仕事も絶好調で、自分の皇帝時代だ。

それからはほとんど仕事だけの毎日だったけど、2011年にのぶと出会い、しばらくして2人で浜松に家を借りた。週に2,3日はここアトリエで、のこりは浜松を往復する日々はのぶが亡くなるまで10年続いた。そして、また私は毎日ここにいる。

のぶはあと2年半で定年、というところで亡くなった。定年後は会社に残らず、どこかでシニア就職する予定だった。もう両親もなく兄弟もなく仕事もやめればしがらみは無くなり、どこに住んでもいいと言っていたので、それなら家賃のかからないアトリエに住もうと私は行っていたし、その予定でいた。もちろん義実家をくずし借地を返す大仕事はあったけど(結局それは私がやった)。

のぶは本当に浜松を去っても良かったんだろうか。浜松を出たくなかったんじゃなかったのか。のぶは一度も浜松以外に住んだことがない(浜松は名古屋ですら通える利便性の良い場所にあるから)。

のぶはあまり心の奥底を人に…家族であった私にさえ…ほとんど話していなかったと思う。のぶの本当の気持ちを訊くことができなかった。家賃がかからないのはいい。でも婿のようになりたくない…だったのかもしれない。そういう男の小さなプライドは捨てられないタイプだったと思う。わからないけど。