まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day205 S氏

のぶは1963年生まれ、生きていたら58歳だ。私より少し上だけど、いわゆるバブル世代。就職をする昭和末期〜平成初期に、とんでも無く日本の景気が良かった時代だ。なにせ私が就職した年(1991年)のゆうちょの定期の金利が6.5%とかびっくりするくらい高金利だったのだから(現在は0.002%)!

 

この時代の男女はイケイケでノリノリ、仕事も金も恋愛もゴージャスだったと言われるが、これは端っこの人たちの話。反対の端っこにいて、全く恩恵を受けなくて地味に生きていた人の方が断然多いと思う。のぶもそうだ。私も同じ。だからなんとなく価値観が合うのだ。私ら地味組は、30年経っても派手組だった人はなんとなく判別できる。たとえ現在は落ちぶれていても。むしろ落ちぶれている方がバブル残党とわかりやすい。仕事も金も恋愛も失敗したけど、メンタルだけは悪い意味でのバブリーなアラカン(60歳前後)に出くわすことがある。

 

S氏がまさにそんな感じ。

 

S氏とは、のぶの実家の一部を貸していたS家の一人っ子だ。のぶより1歳上なので58〜9歳。スーツ族でちょっと見はダンディ、仕事は会社役員だという。

 

のぶの実家のおさらい。のぶの父と母が結婚する時、のぶの父方の祖母が知り合いだった田畑さんに土地を借り受け、いまの場所に家を建てて新婚生活を始めたのが昭和30年代半ば。のぶは昭和38年に生まれた。後に祖父母も同居するようになり、増築。その時南側に建てた離れ部屋に賃借人としてやってきたのがS家。両親と一人息子で1部屋に住んでいた。血縁はない。

 

母親同士は姉妹のように仲良くなり、S氏とのぶは兄弟か従兄弟のように育ったという。ただ、のぶはS氏の強い性格は好きではなかったようだ。S家の父親は人当たりはいいが、いい加減な人だったらしい。無免許で車を運転していたというし、借金しては開業・廃業を繰り返し、ついには単身蒸発。残された妻子の元には連日借金取りが来ていたという。ちなみに現在でも消息不明らしい。

 

母ひとり子ひとりになったS家はずいぶんと苦労したのだと思う。母親は恐らく働き詰めの毎日だったと思う。息子S氏は中学になり、グレて家に帰らなくなる。大家としてのぶ家がS家を支えたという。お金も良く貸したと言っていた。それでも母親同士は最後まで仲が良かった。

 

のぶはS氏が嫌いだったと思う。口には出さなかったけど。家出後のS氏の話はのぶからは聞いていない。幸いそのままグレることなく改心し、就職し、結婚して実家の近所の賃貸アパートに住んでいる。

 

S氏が20歳前後にバブル期をどう生きたかどうかは全くわからないけど、現在の彼を見る限り、いまだにバブル悪残党のニオイがプンプンする。人当たりが良く、外見に気を使い、図々しく、自己中で、おんな子供を見下すような態度を取る…見下してもいい人間を判別する能力を持つということか。

 

もう何もかものぶと反対。私はたった数ヶ月、義実家解体の件で彼と事務連絡みたいなものをして来たけど、本当…マジで無理ですっていうくらい、ムカつく人間だ。

 

続く