まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day139 自分へのご褒美

のぶが亡くなった時は、私は自分が許せなかった。

 

何度も書いているけど、のぶの死は私の責任でもあると思っている。でものぶの死で、世界一悲しんたのも私だし、今後もその痛みに耐えて行かなければならないのも私だ。

 

あれからずっと、耐え忍んで生きてきた。絶望の淵まで行った自分自身を、死の沼に飛び込ませないように自分自身で留まらせた。コロナ禍の社会のせいもあったけど、買い物や必要な用事以外はどこへも出かけずに耐えてきた。

 

その間はほとんど作品を作ることで時間を費やしてきた。悲しみや痛みを癒すのは、のぶがもう戻って来ない限り、時間しかない。その時間が私の懲役だ。たぶん死ぬまで。無期懲役だ。誰に監視されるわけでもないけど、私は罪人なのだ。死ぬまで続く時間を、私は何とかして生きていくために時間を使わなければならない。積極的に死ぬことはないけど、いつ死んでも構わない。

 

でも、少しだけ、ほんの少しだけ自分を許す気持ちにもなってきた。心や体が痛くても耐えて来たけど、もう少し癒してあげてもいいのではないか。自分が許せなくて、もうどうでもいいと思っていた心を緩めてもいいのではないだろうか。

 

のぶをさしおいて、楽しいことはできないと思うけど、今日、久しぶりにマッサージに行ってきた。マッサージは心も体も癒される。

 

私は良く、自宅で仕事帰りののぶにマッサージをしてあげていた。神経質でよく考える性分ののぶは、首や頭がゴリゴリにこっていた。自分でもたまに温泉施設のマッサージに行ってたみたいだけど、私も上手だと煽てられてたまにやっていたと思う。のぶもたまに私にやってくれたけど、のぶはちょっと力が強い。

 

私は、ジムに行っていたときはほとんど肩こりはジムの筋トレで鑑賞されることが多かったけど、浜松から引っ越すときにジムを止めて以来、ほとんど家から出ないで運動していないので、肩こりが酷い。一日中椅子に座って作品を作っているから、からだじゅうバリバリだ。

 

そんなわけで、マッサージに行ってきた。実は浜松を引っ越した日も、待ち時間にマッサージに行ったのだけど、それ以来かもしれない。

 

私がマッサージされている時間、のぶが私に乗り移ってくれていたらいいなぁ…と思いつつ。自分へのご褒美。