まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day122 キッチン

いま私がいるアトリエ兼自宅は、2005年に自分のデザインを取り入れて建てた一軒家だ。

 

当時は結婚する気もなく、一人で暮らすことができれば良かったので、1階は仕事場、2階が1LDKで、1階の方が広い。2階はダイニングキッチンとバス&トイレ、寝室のみ。

 

住宅メーカーは浜松の住宅メーカーだ。たまたま見に行った住宅展示場の営業マンの人がすごく丁寧で誠実な人で、この人に頼もう!と思ったのだ。残念ながらその住宅メーカーはいまは無いのだけど、建物そのものは満足している。営業の人、元気にしてるかなあ。

 

私が浜松に引っ越しても、仕事場として週1、2度は使ってきた。16年経つけど、そんなに古びていない。もともと仕事場の家具はアンティークっぽいからなあ。

 

のぶと出会う前に建てたので、2人で住むのはちょっと狭いけど、いずれはそのつもりでいた。また一人で住むことになるとは。

 

のぶが初めてここに来た時、のぶは2階のキッチンを見てちょっと驚いていた。

 

「このキッチン、組んだ記憶があるよ。」と言った。のぶはヤマハのキッチン製造部門にいたのだ。今年で29年目のベテランだ。のぶがキッチンの扉を開けたり閉めたりして、「この人工大理石の天板…前にやったなぁ〜」なんてのぶが言うのを聴いていた記憶。

 

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大金を動かすような仕事でもないし、人命を守るような仕事でもないけど、のぶは自分の仕事に誇りを持っていたと思う。だから復職させたかった。でも結果的には苦しみは増してしまったのだと思う。追い詰めてしまったのかも知れない。のぶには申し訳ないことをたくさんしてしまったと思う。

 

ヤマハの住宅設備関連部門は5年ほど前に独立し、現在はヤマハの名前ではなくなった。この頃から、たぶん会社の方針も微妙に変わりつつあって、昔からいた社員たちはいろいろ言いたいこともあったんじゃないのかな。それでもサボることなく一生懸命に仕事していたのぶ。本当に尊敬します。

 

私は毎日、のぶの作品とともにこのアトリエで生きています。