まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day54 初めての感情

喪主をつとめるのはこの先まだまだ先だと思っていたので。

母の喪主は姉がやるだろうし、姉の喪主は義兄がやるだろうし、私が喪主をやるならのぶの喪主だけだろうけど、まさかこんな突然来るとは…。


当たり前だけど、初めてのことばかりでした。行動もそうだけど、自分の考えというものがこの社会に対して全て、甘かったと痛感しました。

たぶん、経験しなかったら絶対わからないけど、やってはいけない・言ってはいけないことを、自分は他人に対してやって来た・言ってきた、と反省しています。

文字にすると「そんなこと」と思うこと(私も過去にはそう思っていた)でも、のぶを失った私にはとても辛い事でした。

例えば私の母は、4年前に夫(私の父)を亡くしました。父は80代で、闘病、入院もした。病状が悪くなりながらも母とは会話をし、見守られて病院で亡くなった。私にとっては、もちろん悲しいけど、想定していた逝去の場面でした。

だから母も同じように、父の臨終に納得していると思いました。

ちなみに私の父も浜松育ちで、のぶと性質が似ていました。父も真面目で生活は地味で、母を喜ばせるために生きていたような人。50年以上、仲良く(時に喧嘩しながら)一緒に生きてきた夫婦でした。

でも、母は、4年経った今でも寂しいと口にします。私は、突然夫を失った気持ちは誰にもわからないと思ったけど、そうではなかったんです。状況はどうであれ、愛する人を失ったら喪失感は同じなのです。

母は50年以上父と一緒にいて、4か月毎日病室に通ったけど、まだ「(やってあげたかったことが)足りない」と言います。闘病の最後の方には水さえ飲めなくなってしまったので、いまだに飲ませてあげたかったと悔やみます。今だに父と一緒に行った場所を偲び、好きな食べ物で思い出します。

どんどん歳をとると、周りの人が天国に行ってしまい、自分が「残された方」だと自分が死ぬのが怖くなくなるんでしょうね。私もそう思います。

私もいまは後を追いたいとは思いませんが、当初は家族が心配するくらい死人みたいな顔して後を追いそうな姿だったようです(頭の中はずっと真っ白で、なにかを考えていたかほとんど覚えていません)。

答えとか結論はないんですけどね…。

たぶん、のぶがいなくなる前と後では、自分は別人かというくらい、考えが変わったと思います。

ちなみに、亡くなってから暫くは、自分が友人知人に言ってほしくない、してほしくないのは以下のようなことでした(自分でようやく気が付きました)。

★亡くなった状況を詳しくは訊かないで…いまはそれを思い出したくないの

★会いたくないの…いまは死神みたいな顔してるかもしれないの

★放っておいてほしいの…ごめん、いまは誰にも気を使えないの

ただ、SNSや電話とかでの温かい・短い言葉はそれだけでこの世に引き止められるパワーがあったと思います。

いずれ自分から話せると思うので、それまで待ってください。