まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

46日目。お金

昨日までの数日はずっと涙が溢れ出て止まらなかったけど、今日は不思議とピタリと止まっている。悲しい寂しいは周期的なのだろうか。泣くのは情けないとは思うし、のぶは私が悲しむことを望まないと思うけど、致し方ない。だって涙を我慢できない。何を見ても思い出す。泣いているのではない、思い出しているだけ。自分の身の寂しさよりも、のぶを幸せにしてあげられなかった悔し涙なのだと思う。もちろん幸せだったかどうかはのぶ自身が決めることだけど、答えを聞くことができないん

 

自分には子供もいないし、17年前に建てた仕事場を兼ねた自宅があるので、今のように何もしない(実家の母の運転手や、買い物行ってご飯を作るくらい)生活だと、もう仕事もしなくて良いかという気持ちにもなる。

 

もともと勤めはしていなくて、家で創作、製作をして展示会で販売するのがメインの仕事。集客も販売も会計もギャラリーにおまかせなので、人前にはあまり出ない。普段からあまり社会と関わっていないような気がする。

 

私はのぶが一生懸命に働いて老後に貰うはずだった退職金や厚生年金(遺族年金)を受け取ることになっている。のぶは生前、お金がないっていっつも言ってた。決して贅沢はしていなかった。私が貰うのは違うと思いながら、辞退するのもどうか。どうしたらのぶのために使えるんだろう。今更壮大な祭事をやるのも変だ。もちろんお盆やお彼岸、周年忌はちゃんとやるし、お墓参りもいくけど、生きているのぶの幸せのために使いたかった。

 

お金が無ければ生きていくことは難しいけど、私にとってお金はただの生活ツールだ。それが一番じゃない。身の丈にあったお金で良いし、自分で稼いだお金以外は使うのに躊躇する。のぶからのお金は、せめて私が今後の生活に困らないように贈り物かもしれないけど、お金よりものぶに戻ってきて欲しい。無理な願いだ。

 

昔、生きているのぶに言ったことがある。お金が目的だったらあなたとは結婚していない。あなたはお金よりもっと価値があるものを持っていると。

 

それは具体的には優しさとか思いやりとか愛情とか、目に見えないもの。今でもそう思う。私は世界で一番尊いものを傍から失ってしまった。のぶは自分を何も持っていないつまらない人間とか言ってたけど、それは全力で否定したい。そしてそれを一度きりではなく、ずっと言っていればよかった。

 

自分がそういう尊いものを持った存在になれればそれがのぶの遺志を継ぐことになるだろうけど、今はまだその自信がない。