days 不思議
ここのところほとんど生きた心地がなく、毎日ルーティンで布を縫うばかりの日々。ありがたいのかなんなのか、人形の着物を縫うくらいなら頭を使わずに進む。他人とも会わず話さず、SNSの発信もほとんどなく、生きているか死んでいるかもわからない。
お盆が来たし、お迎えはまだか?と言いたいところだけど、亡くなった人がきれいさっぱりこの世から消えて無くなることは痛いほど実感している。それがのぶの望みだったのだ。何処かで見守ってくれているとかはこちらの希望にすぎない。
先日、床拭きロボットのブラーバという掃除機を買った。昔ルンバを買ったけど使いこなせず電池が切れたか何かで動かなくなって以来そのままだ(製造元のアイロボット社への電話対応にも辟易してして諦めた部分もある)。なのにまた同じようなことを学びもせずやっている。
でも、こういう地を這う系の掃除機があると「床に物を置かない」という使用者への義務が発生するので自主的にものが片付くのかもしれない。わたしはブラーバのために家中のラグやカーペットを捨てた。ブラーバは水拭きと乾拭きの両方をしてくれるので、カーペットの上に上がらないようになっている。
そして黙々と、見ていなくてもまじめに床を拭く機械に、のぶの姿が重なった。のぶはきっと会社でこんな感じで働いていたのだろう、と思うと泣けてきた。
人は死んだら無になるけど、生きてる人の心の中に生き続け、ロボット掃除機にその人を投影することもあるのだ。
ついついブラーバに話しかけてしまう。ルンバのバッテリーも買い直したのでまた動いてくれると思う。
不思議なことに、のぶが亡くなって1年半、初めてのぶの再存在を感じ始めた。たかが数万円のロボットだけど。