まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day206 続・S氏

S氏の母はとても明るくて気さくな人だ。のぶの妻になった私もまるで家族のように接してくれた。彼女は数十年、のぶ家のはなれに一人で暮らしていたが、2014年5月に、老人ホームに入所した。S氏は80代になった母親を一人暮らしさせることに不安を感じたのだろう。今こそ親孝行だ。「母が戻ってくるかもしれないから」というS氏に懇願されて、貸していた部屋はそのまま賃貸を続けることになった。実際は一度も戻っていないので、倉庫として貸していた。

 

しかし数十年隣同士で助け合って行きて来た姉妹のような存在がいなくなったのぶの母は、寂しさが募ってしまったようだ。1年半ほど後、2015年12月に義母は突然亡くなってしまった。

 

この時点で、のぶは決断すべきだったのだ。実家は空き家になってしまった(その時点では母の飼っていたワンコが残されたけど)。隣も倉庫であって人は住んでいない。解体して土地を返せば良かったのだけど、それはのぶが退職後、退職金をもらってからやるとのぶは決めたようだ。私のはさむ口はなかったのだ。

 

ちなみにS家の家賃は、母親が出て行ってからは息子S氏がのぶに直接払っていた。土地も家も賃貸契約も、古すぎてなんの書面もない。全部口約束みたいなもので、だいたい月末になるとS氏から連絡が来て、のぶに直接支払っていた。金額は一万円だ。これも多分、のぶがそれで良いよと言ったのか、向こうが倉庫だから安くしろと言ったのか、わからない。空き家でも借地代と火災保険、ライフラインの基本料金で月に3〜4万円はかかっていた。

 

のぶが急死し、予定が変わった。わたしの天地がひっくり返る思いとは裏腹に、のぶが遺したものを全て引き継がなくてはならなくなった。

 

のぶが亡くなった1月の末、のぶのLINEにS氏からいつものように家賃の支払いの件が届いた。私はのぶの代わりに、S氏に返信した。

 

のぶが亡くなりました。家賃は私が代わりに受け取ります。でも、義実家は7月の初盆が終わったら解体しますので退去お願いします。と。

 

(ちなみに6ヶ月後になったのは偶然だけど、法律でも定まっている退去期限だ)

 

S氏の答えは「困ります」

 

は?

 

私あんたの1億倍くらい困ってるのわかんないのかな?バカなの?仮にも40年以上顔見知りの幼なじみが亡くなったのに、お悔やみの言葉もないの?お悔やみの言葉よりも、自分が困ってる事を真っ先に、よくも未亡人なりたての女に言えたもんだよな。バカなの?

 

これから半年に渡り、S氏とのムカつくやりとりが始まるのです。

 

のぶ、戻ってこいや!こんなの私やりたくない!

 

その後、一応は夏の退去を納得させ、家賃は私が代わりに受け取ることになった。手渡しは無理なので、振り込んでほしいと伝えたら「手数料はどちらもちですか?」だって。たった数百円だよお前が払えよ。細かすぎてイライラする。PayPayなら手数料無料だよと伝えて、PayPay払いに落ち着いたけど。

 

私はこの時点で、のぶがいなくなってしまったことでほとんど、もうどうでも良くなってしまっていた。動く気力もなかった。ついこの前マンションを全て遺品整理サービスに頼んで処分してもらったので、お金で解決するならそれでも良かった。のぶがいなくなった現実も、存在した事実さえも見たくなかったのである。

 

だから義実家もS家も、私の費用で全部処分しても良かったのである。つい最近までそう思っていた。でもS氏とやりとりするうちに、あまりの自己中っぷり、あわよくば費用を出させようと誘導する物言い、のぶへの気持ちの薄さ、私を見下す態度、全てにおいて怒り心頭、スイッチ押された。

 

闘う事に決めました。

 

半年前ならこんな事考えられなかった。ゆらゆらと時間だけに流されて生きているかどうかわからない状態で、究極の受け身だった。そんな私が闘うだと?闘うのはエネルギーがMAXに必要だ。ややネガティブな感情ではあるけど、「生きる」ことを決意した事に他ならない。褒められた状況ではないけど、私を心配していた親戚知人友人、心配するな。私は闘う。そして勝つ。あいつの屍体を踏みつけて生きてやる。

 

続く