まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day335 昔のお教室

私が最初に通った教室(人形教室)は33年も前のこと。世の中はバブル期で東京の物価や家賃は今より高かったと思う。

 

当時私は東京の大学生で、人形教室には3年ほど通った。最後の方は地元に就職後に通った分だけど。当時は仕事の土曜休みがほとんどなかったのでちょっと通う時間がなくなってしまった。

 

当時の教室は、私が通ってたお教室に限らず、高額化していたと思う。ちょっとした習い事ブームもあった(「ケイコとマナブ」という習い事紹介の雑誌も出てた)。バブルでお金が回っていたからか、月謝も高かったと思う。ちなみに令和の現在私が頂いている月謝の倍以上だった。30年前で。

 

もちろん好きで通っていたのでなんの不満もない。基礎を教えてくれた先生には今でも感謝している。そして今より「先生」がずいぶんリスペクトされていたと思う。

 

これは昔の自動車教習所の教官は厳しかったけど、今は優しいらしい、というのと似ている。優しくないと、ただでさえ少子化で少ない生徒が逃げてしまうかららしい。

 

お高いお月謝だけでなく、年2日、お中元とお歳暮で現金での増額があった。たぶん先生からの強要ではなく、自主的なものだったけど、古参の生徒さんから「持ってくること」とピッシャリ言われていたので、泣く泣く出費した。私は学生でお金に余裕がなかったので…。

 

展覧会も、たぶんこれはどんな習い事の発表会でも同じだと思うけど、結構な出品料がかかり、なかなか大変だった(1度しか経験ないけど)。先生の個展ともなれば、無給でお手伝いは当たり前、お花やお祝いの出費も当然。もちろん手伝いたい、おめでとうございますの気持ちがあってできることだけど。

 

翻って、私が教える側に回った時代。お土産や差し入れはたくさん頂いたのでお教室のお茶の時間で楽しませてもらった。ただお中元お歳暮はもらったことはない。基本的にお月謝以外のお金は、展覧会のお祝いであっても断っていたと思う。

 

個展にはお花や差し入れは頂いたけど、個展での労働はほとんどお願いしたことはない。生徒の展覧会は何度かやったけど、普通なら頂いて当たり前の出店料はもらっていない。少額のDMハガキ代程度は集めたかもしれないが。ただ自分達の展覧会なので、準備や当番はできる限り手伝ってもらった。準備の日のランチは私が出し、当番には差し入れもした。もちろん感謝の気持ちがあったからだ。でも「自分(私)の宣伝のために自分達が利用された」と後からクレーム言われたこともありとても凹んだ(参加は強制ではなく有志だったのだけど)。それ以来、教室の生徒展はやってないと思う。

 

ここ数年は私の展覧会にお花をくれる人も来てくれる人さえ少なくなった。ものは要らないけど、来て欲しいとは思ったよ。この人望のなさ、そりゃ誰も来なくなって潰れるよ。

 

今は講師が頭を下げて、生徒に気を使い、気分を損ねないようにしないとカルチャーや習い事も開けないのかも。作品だけじゃダメなんだね。それじゃ私が講師に向いているはずもない。よくぞ26年も続いた方が奇跡みたいだったよ。