まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day131 金環日蝕

ちょうど9年前、2012年5月21日の朝、日本で金環日蝕が見れました。

 

2012年5月1日に私とのぶは浜松の、のぶの実家の元浜町の近く、曳馬にマンションを借り、住み始めていました。

 

私は昔から日蝕、特に皆既日食を見るのが夢だったのですが、日本ではなかなか見れず、海外の日蝕観測ツアーは高額で、なかなか見れないままに来ました。金環日蝕皆既日食の一種です(ただし皆既日食のように空が暗くならないので、部分日食の方に近いかも)。日本の本州で見られる皆既・金環日蝕は129年ぶり!ようやく日本で見られる日が来ました。しかも浜松はちょうど食が通る帯の中央なので、金環も本当にきれいな均等な輪になってみられるはずなのです。まるでプラチナの結婚指輪のような。

 

あまりに私が楽しみ楽しみと言うので、その日は平日(月曜日)だったけど、のぶは会社を有給休暇を取って私の観測に付き合ってくれることになりました。優しい!のぶはほとんど日蝕に興味はなかったんですが…。

ワクワクで朝起きると、どんよりとした曇り空。不機嫌になる私。でも、のぶが選んでくれた観測場所、比較的近くの高台、中沢公園に朝7頃に着きました。金環日蝕は最大食が7:30頃の予定です。

 

 

曇だらけ!もう太陽は登っているはずだけど、どこに太陽があるのか全然わからないほどの曇天!私が晴れろ!晴れて!って言っていたら、なんとなく雲が切れ、晴れ間が広がってきた!

 

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そのうち、すでに半分くらい欠けた太陽が雲間から現れて、蝕の最大(金環になるころ)にはほとんど雲は晴れ、用意してあった日蝕サングラスからはプラチナの指輪のような金環をしっかり見ることができた。わずか5分ほど。

 

 

日蝕中は、木漏れ日が欠けた太陽の形になるのが不思議。

 

見られて嬉しかったのはもちろん、私はのぶの「やれやれ」という笑顔が印象に残っている。この時点で、まだ出会って9か月目。一緒に暮らして2週間目くらいだ。この時はテンションが高くて思わなかったけど、私の勝手っぷりに、のぶが良く耐えてくれてなぁという気がしてならない。もちろんこの時以来もいろいろ我を通してきたと思う。のぶは偉大だ。全部許してくれていたのだから。もう、こんな人とは出会わないと思うし、逆に言えば、一生のうちに出会えた私は幸せなのかもしれない。のぶはいつでも私を幸せにしようとしていてくれた。

 

ちなみに次にこの場所で見られる金環日蝕2041年10月25日、この日から29年後だ。私は73歳、のぶは78歳だ。またこの場所で絶対に見ようと約束した。のぶはまた、やれやれという笑顔だった。

 

余談だけど、中沢公園は、中沢墓園に隣接し、浜松斎場にも近い。のぶの葬儀を行った葬祭場も近い。のぶのお葬式の時に、中沢公園の前を通った。真っ白な脳内で「ああ、ここは金環日蝕を見に来たなぁ…」とちらっとよぎった。