day362 重い
のぶの命日が近づくにつれて、悲しみが重くなって来た。のぶは去年のお正月も楽しめなかったと思う。どんどん生きるのが辛くなっていた。
私は寄り添っていたつもりでいた。1日のほとんどを働いて過ごしたし、のぶの病気にも理解あるつもりでいた。でも全く出来ていなかった。
思い返せば、私の周りは比較的、心の病を抱えている人が多く出会っていると思う。特に私のやっていた教室には何人か来ていた事がある。それぞれ全く違う症状で病院に通い(療養中で就業してない人が多い)、どのくらい長く患っているとか、症状については特別説明があったわけではないけど、何か趣味に熱中するのは良いことだと思い、丁寧に教えたつもりだった。ただ、長続きした人はほとんどなく、その度自分の無力さを感じていた。自分の言動で嫌われてしまったんだと思う。みなそれぞれに症状は違う。いつもどれが正解かわからなかった。
のぶに対しても、私は不正解ばかりだったと思う。のぶは優しいから私を否定するようなことを言ったりする事はなかった。でもたまに私の方が限界を感じる事があった。言葉や言動に現れなくても、これは間違っていると感じることはよくあった。のぶの通っている医者に相談してもダメだった。
私は一度、もう20年近く前に心療内科に行った事がある。立ち上げたばかりの自営の仕事がものすごく忙しく、アトリエを建てたはいいけど、そのあと何も楽しいと感じなくなった。生きているのが辛くなり、医者で薬をもらった。ただ仕事は同じようにほぼ続けていたし、お教室も生徒が多い時期だったので一度も休む事なく続けた。1年くらい薬を飲んだらほぼ治ったので軽くて済んだと思う。それ以来ぶり返していない。
のぶが亡くなって生きているのが辛いし、自分のせいでのぶが死んじゃったのかとか、自分を責める気持ちは常にあるけど、20年前の死にたい気持ちとは全然違う。あの時は理由もなく生きているのが辛かったけど、今は悲しい理由がはっきりしている(だから医者に行こうとは思わない)。
のぶにどう対応したら良かったのかもいまだにわからない。タイムリープが起きてもしやり直せたとしても、正解に辿り着けるかどうかも自信がない。苦しみを分かち合うことすら出来なかったから。
day 361 年賀状
去年の年賀状は、マンションの部屋を片付けるときにほとんどのものを処分してしまったから、おそらく私の手元にはない。
いっさいがっさいマンションの部屋のものを処分してしまったのは、今となっては正しかったのかどうかわからなかったけど、あの時は、冷静に分別しながら片付けることは無理だった。自分も正常ではなかった。一刻も早くあの場所から逃げたかったのだ。
のぶの親戚には数人にしか知らせていない。元々のぶの父方は親戚が少なく、のぶ実家の横に住んでいる親戚(のぶの父親のいとこ)にだけは知らせた。母方の従兄弟にもひとり知らせた。どっちにしても付き合いはあまりなく、冠婚葬祭や年賀状の付き合いだけだ。
浜松のマンションの住所から転送されて来るので、昨日、今日、年賀状だけの付き合いの親戚からの年賀状が届き来始めて、私は寒中見舞いと喪中のお知らせのハガキを出した。
これじゃダメだったとは思う。ちゃんと出来ていない。でも私はまだのぶのいなくなったことを冷静には受け止めていないのだ。
day360 1年前
もう後悔してもどうしようもないし、どう考えても出口はないので、1年前のことは思いを手繰らないようにしているけど、どうしても思い出してしまう。
1年前、のぶは苦しくてどこにも逃げ場がなかった。近くにいた私にすら助けを求めなかった。
私が気がついていれば。私がもっとわかってあげて、ちゃんとした行動をとっていれば。悔しい。
day359 水
昨日、水道の使用量検針の作業員の人が実家に来てた。普通だったら検針してお知らせをポストに入れていくだけだけど、今日はわざわざ玄関まで来て言った。
「いつも20リットル程度の使用(5000円前後、上下水道合わせて、2ヶ月分)の請求だけど今回70リットル(17,000円ほど)です。何か変わったことありましたか?」
使用量が4倍近くになるのはおかしい。基本的に実家の母一人暮らしで、使用量が増える要素はない。お風呂を出しっぱなしにするとかボケてもいない(だいたい風呂給湯器は自動で止まる)。一番考えられるのは、水道管が漏れているといことらしいので、業者に電話して調べてもらった。
が、水道の蛇口を止めていれば水道メーターが回ってないため、漏水も現在は無い。可能性としてここ2ヶ月の間に水道管から漏水して、またすぐサビなどで塞がって止まった、という偶然があったかもしれない。実家は25年前に水まわりを中心にリフォームしているけど家自体は築45年、地中の水道管もだいぶ古くなっている。外水道を勝手に使っているヤカラがいるかもしれないけど4倍にはならないだろうなぁ。
去年、1月13日、のぶのお葬式の最中にのぶの実家の水道管が壊れて水が噴き出した事があった。隣の人からノブの携帯に電話があり、お葬式の直前でとても困った。私は喪主でほぼ一人で葬儀を進めていた。それでなくともあちこちからなにかの問い合わせがあり、お坊さんに挨拶にも行かねばならず…。隣人はのぶが亡くなったことすら知らず、かなり苦情口調でがなって来た。
事情を話し、結局隣人と土地の大家さんが市役所の水道局に連絡してくれて収まった(原因はのぶ実家の水道ではなく、目の前の市道に埋まっていた水道管の凍結破裂が原因だった)。
話は戻し、実家の水の件。うちは暖かい地域なので凍結はほぼ考えられない。とりあえず若干ゆるくてわずかに水漏れしていたキッチンの水道栓を取り替えてもらった。外水道の蛇口も取り外して勝手に使われないようにした。これで2ヶ月後も検針で使用量が多いまま変わっていなければほかに原因がある。水道メーターは毎日チェックしようと思う。
門の屋根飾りの「水」が落ちて来た。偶然だけど暗示的。
day 358 家族
焼津の実家に、大阪の姪、大阪の甥家族、焼津の甥、東京の姉が集まって2年ぶりの家族集合。
(2年前はここにのぶと実家猫のんこがいた)
ひいおばあちゃんから曾孫まで4代。なかなか貴重な時間だ。姪孫(甥の娘)を見ていると、涙が出てくるよ。
去年、のぶの実家の解体の際に、相続手続きに必要でのぶ一家の戸籍を取り寄せた。元治元年生まれのご先祖まで遡れたので、ファミリーツリーを作ってみた。みなどんな人生があったんだろう。
自分のも作ってみたい。
day357 51回目の日曜日
あと1週間で一年が経つ。
去年のお正月はこんな日が来るとは思ってもいなかった。病気を抱えてはいたけど、まさか命を奪うまでとは。
引き金を引いたのは私であろうと、いまだに悔やんでいる。悔やんでも悔やみきれない。私はそれほど重いものだ。許しを得ることすら無になる。行きていさえすればいくらでも危機を回避できるチャンスはあったかもしれないのに。
(だから私はそれを私の家族や友人知人に繰り返すつもりはない)
死の間際の言葉すら聞かせてもらえなかった。私はずっと罪を背負って生きるしかないのだろう。
あの日も晴れて冷たい空気の日曜日だった。朝のぶが干した洗濯物がベランダで冷たく乾いていた。
day356 新年
2022年が来た。
時は否応なく過ぎる。
ただ流されていくだけで抵抗ができないけど、進んで行く。
自分の未来がどうなるのか全くわからない。この世界がどうなるのか。コロナは治るのか。世の中どうなるのか。災害に巻き込まれるだろうか。
生きていくしかない。