まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

days 月命日(3月10日)

先月の墓参は雨でとても寒かったと思う。今日は20℃以上ある暖かい1日。

 

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浜松は2017年の「おんな城主直虎」以来の大河ドラマ館が浜松城公園に出来て、街のPRに積極的でなんだかとても賑やかだ(先日、同じく大河ドラマ館が出来る静岡市街に5日間通ったけど、意外に静かだった)。

 

のぶが居なくなってから2年経った元浜町もけっこう変わっていると思う。

 

のぶの実家は更地になったあと、ダイワの賃貸物件が出来て、今月から入居開始のようだ。

 

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1LDK9戸のアパートマンション。ペット不可、駐車場無しで管理費込み7万円ほど。向かいにのぶが借りていた月極駐車場がある(値段が変わってなければ9000円)。ペット不可だから私は住めないけど、便利な場所だからもう満室のようだ。

 

のぶと毎週土曜に通っていたキッチン泉は、まだ「しばらくお休みします」の張り紙が出たまま、閉店している。このまま閉店してしまうのだろうか。寂しい。

 

街も生きている。

days 不思議

松坂屋百貨店へのイベント出展が終わった。私にとっては初のイベント出展、自分だけの力で商品を紹介したり売ったりするのもだいぶ久しぶり。

 

苦手だけど経験にはなる。正直作っている方が100倍も楽だけど…いや、本当は作品製作はめちゃくちゃ大変なのだけどその大変さが良い。たぶんそれを楽しいと思える人しかプロにはなれないと思う。もちろん他人はそんなこと知らない。

 

だからデパートの催事場で初めて見た作品や私自身を、凄いなと思う人もいたと思う。素直に褒めてくれているのだろう。

 

でも私はそんな誇らしい人間では無いんだよ。9割は情けない人間だよ。世界一理解してくれる人間を殺してしまった。その罪は重い。

 

私は生まれてこの方、親に理解などされてこなかった人間。表面上は「めんどくさいから」という理由でおそらくうまくいっていた親との生活も、度々ぶつかる本質的なところでは同じく「めんどくさいから」という理由で全否定されて来た。

 

父は関わることを放棄したまま亡くなったけど母はもう棺桶に足を突っ込んだ年齢なのに絶対に私を許容しない。自分を曲げない。こういう人は中小企業の社長になればいいタイプかもしれないけど、一生専業主婦でお金になることは出来ないしやらない。

 

私は本当にこの人と合わない。よくありがちなドラマ的な「子供が一番」な母親像とはかけ離れている。干渉するくせに理解しない。自分の考えを押し付ける。自分が一番大事。

 

だからいまだに会うと喧嘩になる(だから極力合わない)。私はいつもその不寛容さに泣いてしまう。そして怒る。言っても仕方ないのに昔からの不満をぶちまける。相手は聞くわけがないのに。聞いていたらもう少し早く普通の親子になれただろう。

 

母も、私の怒りをおさめようとする努力を一切しない。その場を鎮めるような物言いはならない(絶対に自分の非は認めないし、私より大きい声で怒鳴るあるいはため息をついてこちらを侮蔑する目で見る)、むしろ煽ってくるくらいだ。怒鳴りあったその日はもう何もできなくなる(私の生命である作品作りも何も出来ない)。だから合わない。早く逝ってほしい。

 

私は母親になりたく無いしなっていない。一度だけそのチャンスはあったけど、なれなかった。神様がやめておけと言ったんだろう。

 

母親になりたく無いのは母のせいだ。だからたくさんの作品を作り、猫を可愛がる。それでじゅうぶん。私はこれ以上酷いモンスターになりたく無い。愛情がないなら子供なんて産むな。

 

デパート会場であったお客さんたち、たくさん褒めてくれたけど、私は褒められずに育てられたんだよ。

 

 

days 2年まえ

2年まえの今頃、のぶが急死してからの1か月はほとんど記憶がない。

 

頭の中が霧がかかったような状態でどんどんものを忘れていくので(覚えられないと言ったほうが正しいかも)、当時使っていた仕事の売上のノートの逆方向から、しなければいけない事や覚え書きをとにかく書いた。私は思考停止したロボットみたいなもんなのに、どんどんやることが増えた。しかも誰もやってくれないし(遺族はわたしひとり)、誰も教えてくれないので、目の前に見える人を捕まえて(葬儀社関係の人とか役所の人とか)、聞くしかなかった。

 

こんなこと何処でも習わなかったし知ろうともしなかった。

 

いまノートを見てもふーん、くらいしか思わない。やっぱりあまり覚えていない。周りが見えてないようだし、必死だったんだろう。

 

間違いなく自分の人生で最大の危機だったと思う。

 

days 2年前

2年まえはのぶのお葬式だった。

 

みぞれ混じりの極寒の日だった。

 

ただそれしか覚えてない。

 

そう言えば

告別式の直前に、のぶの実家の隣のお爺さん(遠い親戚)からのぶの携帯に電話がかかってきて、「(のぶの実家の)前の道路の水道館が凍結して水が出ているのでなんとかしろ」と言われた。私はのぶが急死してこれから告別式だと言ったら相手は絶句していたけど。(その後、告別式が終わってから実家に行ったら、すでに水道局の人が来ていて処置済みだった。別にのぶのせいで水道破裂したわけでもないし、漏水場所も市道の下だったので私が慌てて来なくても良かった)。

 

こういうことがあると、私もむやみやたらに他人を怒鳴りつける人間にはならないようにしようと思う。

 

 

 

 

 

days 3回忌

 

まる2年。

 

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晴天、風強し。

 

少し生花を入れた。

 

のぶを思わない日は無いよ。

 

のぶの死の2週間前、2020年末に最後に食べた鰻のお店に行って、同じものを1人で食す。

 

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思い出と共に生きるしかないのだろう。

 

これからも続く。