まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day 272

39回目の日曜日、9回目の月命日。

 

今日は何故かまた悲しみや後悔が蘇って来て、激しい後悔に襲われている。

 

のぶの苦しみの背中を押してしまったのは紛れもなく私で、苦しみから救うことが出来なかった。せめて軽くしてあげられれば私の心も救われたのに。のぶには安心して居られる場所が無かったのだ。

 

もう、自分自身が許せないのだけど、どうして良いかもわからない。自分など生まれて来なかったら良いと思う。生まれて来てよかったなど思わないし、親からも祝福はされて居ないのだ。明らかに私の両親は子供が嫌いで、今だったら産まない選択もして居ただろう。両親の仲は良かったけど、私は自分が結婚したり子供を持つ未来を想像できなかった。きっと自分は相手を不幸にするし、子供を悪い人間に育ててしまうというネガティブな予想が出来たから。

 

とにかく私は男として生まれなかった瞬間から、両親からガッカリされて生きてきた。「男の子だったら(例えば、弁護士とか)になれば良いのに」など言われて、これまで何ひとつ褒められたこともない。私の好きになるものを「いったい何処が良いんだ?」と否定されて生きてきた。父親はネグレクト(中学生くらいから死ぬまでほとんど喋ったことがない)、母親は壮大な批判者。どうやったって良い人間に育つはずもない。だから結婚は諦めていたのだ。

 

どうやら母などは自分の親戚にも、私のダメ人間ぶりしか話していないようだ。母の兄弟(私の叔父叔母)からはたまに顔を合わせると、「ダメじゃないか」の説教から始まる。ほとんど話したこともなく顔を合わせていない親戚からダメ出しって?私が結婚したと聞いた叔父は、お祝いの言葉よりも先に「夫を虐めるなよ」などと言った。私の何を知っているのか。全て母からの讒言だろう。母が暇だからやりたいと言った着物のほどきの仕事を持って行った時も、伯母から「そんな仕事をやらせている!」と言われたのだ。私が自分でやった方が早いのに。自分が可哀想な女を演じるために私は利用されているのだ。

 

そこまでして母は私をコントロールしたいのである。母が自分で思い描く素晴らしい娘のとおりにしたかった、そしてならなかった私への復讐である。母は宝塚歌劇が好きで小さい頃に好きになる呪いをかけられたけど、効かなかった。「せっかくお金をかけて兵庫県まで宝塚を見に連れってってあげたのに!」と怒る。だから今でも私の押しのミュージシャンを追いかけて海外まで行くのを見ると「何がいいのか?」とガッカリされる。本当に、80代半ばにさしかかった今でも決して丸くならない。自分が神なのだ。

 

姉もほぼ同じことを言われて育ったけど、姉は18歳で両親から逃げることが出来た。勇気と決断に尊敬する。私は大人になっても呪いが解けずにいたけど、のぶと出会って呪いが解け、幸せになることが出来た。なのにまた大切な場所を失ってしまった。実家の近くの持ち家(アトリエ)に戻ったけど、10ヶ月で母の呪いの再来に限界が来た。でも限界だと気が付いているのが救いだ。近いうちに、また引っ越しを計画しようと思う。浜松に戻りたいけど、浜松かどうかはわからない。現実にはお金もかかる。

 

母の呪いは強烈だ。私が彼女に叛いたことを言ったり、離れようとすると、急に弱ったフリをして、親を捨てる悪い人間の罪を背負わせてくるから、本当にタチが悪い。魔女としか思えない。まずはこの呪いを自分で断ち切る努力をしなければならない。