まごころのぶ

2021年1月10日に急逝した愛する「のぶ」の生きた足跡です

day50 はじまり

四十九日法要と納骨が終わりました。いちおうの一区切りがついたことになります。仏教的には、のぶは地上での役割を終えて天界に行くのでしょうか。お墓にはいないのでしょうか。わかりませんが、のぶはずっとここで私と一緒にいるような気がしますが。

 

のぶは、地球の片隅で生まれ、一生懸命に行き、寿命を迎えてひっそりと57年の一生を終えました。ほとんどの人間と同じ、名もなき善男の一人です。のぶが一生で出会った人、ご縁があった人はたくさんいるでしょうが、いずれは何もなかったように出会った人たちも寿命を迎え、記憶もなくなります。私もそうです。

 

私はのぶの人生のたった1/6程度、10年しか知りません。でものぶの祖父母両親も他界した今、兄弟も子供もいないのぶにとって私は最後の家族で、深く知っている最後の人間です。

 

どうしても、のぶの足跡を書き残したいです。誰も知らなくても、誰も読まなくても、ここに書き残したいです。なんの歴史にも残らない庶民の慎ましやかな足跡でしょうが、出来る限り書きたいと思います。

 

49日目までは私の感情の行き場のためにここに書いていましたが、今日からはのぶが(主に私と)行った場所を、のぶが生きていた証として毎日少しずつ記していきたいと思います。ちょっとお店やスポットの紹介みたいに。

 

のぶが生まれて育ったのは、静岡県浜松市中区元浜町で、生まれた実家も亡くなったマンションも元浜町。ほぼこの街で過ごしました。

 

浜松駅から北に1.5kmほど、ヤマハ本社にぶつかる手前です。実際マンション室内で写メすると撮影地が「ヤマハ株式会社」と出るほど隣でした。

 

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のぶの父方の祖父母が戦後すぐに、東区からここに引っ越してきたと聞いています。浜松は軍事工場がたくさんあったので、市街地は空襲で広く焼けてしまい、戦後復興で住宅地になりました。現在でものぶの実家は借地です。のぶのお祖父さんの弟が大工で、借地にのぶのお祖父さんの家とお祖父さんの弟の家を2軒建て、現在もあります。お祖父さんの弟の家には現在はその息子(のぶの大叔父さん)が住んでいます。築70年以上です。近いうちにのぶの実家も壊して借地の大家さんに返す予定です。

 

昔、何故か実家の前(ヤマハを囲む柵の前)で映画のロケをやったそうです。タイトルは教えてもらったけど忘れてしまいました。何もないのに何でここがロケ現場に選ばれたんだろうと、子供の頃ののぶは思っていたそうです。

 

直ぐお隣さんがふぐ料理屋さんで(閉店してしまい現在ありません)、そこの息子さんがダンサーの大澄賢也さん(浜松市出身)の同級生で、たまに小柳ルミ子さんとご夫婦時代に連れ立って来ていたそうです。

 

ちなみに元浜町は古くは芸者さんが大勢いる料理屋、飲み屋さんが多く、少し前はヤマハ本社の接待で夜の街がずいぶん賑わっていたとか。戦前にはホンダの創業者の本田宗一郎のホンダ創業前の会社(アート商会)もあり、のぶのお祖母さんはよく芸者遊びをする本田宗一郎さんを見かけたと話していたそうな。元浜座という映画館もあり、にぎやかな街だったようです。現在はマンションが多い住宅街です。

 

必然的にヤマハ関連で働く人が多いようです。のぶのお母さんもずっと関連会社で働いていて、育児は同居のお祖母さん(父方)の担当で、それゆえにのぶは演歌や昭和歌謡、落語、古めの日本映画が好きになったようです。

 

幼稚園時代、陽が沈むまでお母さんが仕事が終わらずに迎えに来ないため、いつも一人で幼稚園から沈む夕陽を切ない気持ちで眺めていたとか。幼稚園児の頃からとても繊細な少年でした。

 

浜松人が熱狂する浜松まつりにも元浜町は練りに山車が参加していて、この辺りは大変盛り上がります。のぶはあまりお祭りが好きではなく、小さいころは強制的に参加させられていたけど、大人になってからは不参加です(私も)。だから祭りが開催される5月3~5日は、車が通行が規制されてしまうので、とりあえず制限区域外に出て、毎年少し遠くまで出かけていました。

 

元浜町

 

JR浜松駅から徒歩15〜18分

遠鉄八幡駅から徒歩2〜5分

 

元浜町から始まる、のぶの生きた足跡を辿って行きたいと思います。