day94 仕事
毎日仕事をガンガンやっている。
これがモヤモヤ考えることを一番やめられる。
一人で生きていかなくちゃ。
のぶ、大丈夫だよ。私は大丈夫だから見守っていてね。
のぶは仕事を辞めるべきだったね。頑張って復帰しようとしたけど、身体が悲鳴を上げていた。辞職をすすめればよかった。気がつかなくてごめんなさい。私がもっともっと働けば良かった。もう何を言っても遅いけど。
day93 母
私のアトリエからすぐ近くで83歳の母が一人暮らしをしている。父が亡くなってからだから4年ほど一人暮らしだ。
今日、市役所から、要介護・支援認定の調査員が来た。先日は同じような書類のためにかかりつけの内科に問診と診断にも行った。いずれも家族(第三者)の付き添いが必要なので付き添った。
結果的には問題なし。足腰は衰えているけど、頭はボケてないし正常。記憶力は私よりいいかもしれない。食事も私と同じ位は食べられる。猫の世話もできる。
ボケたり寝たきりになったらもっと大変になるけど、今のところはつきっきりの介護は必要ない。
私の予定ではのぶが定年退職したら、家賃のいらないアトリエに引っ越してくる予定だったので、それが2、3年早まった感じだ。
ちょっと厄介なことはあるけど。
day92 真面目
真面目という言葉は70%くらいは褒め言葉だ。真面目は良いことだし、不真面目はダメなこと。でも真面目の30%は厄介だ。
のぶは真面目な人だ。どんな事や他人に対しても真面目に対応するし、裏表もほとんどない。でも自分に対して本当に真面目だ。ここがちょっと厄介な点。
真面目だからダメな自分が許せない。できない自分を嫌いになってしまう。「まあいいか」と言ういい加減さに逃げられない。自分で決めたルールを変えられなくてそれに縛られて悩んでしまう。本当に辛かったと思う。
のぶは2020年のほとんどを病気で休職していた。最初は休職手当があったけど、半年を過ぎるとそれが切れて無収入になった。でも仕方がない、病気療養していたんだから。私が何度も「私が働くから大丈夫」「そう言う時のための貯金があるから大丈夫」と言っても、すぐに悩んでしまう。どんだけ真面目だよ。仕事なんて行けない時は行かなくても仕方ないのに。もっといい加減になってよ。「そっか、じゃあしばらくは休めばいいか」とは思えなかったんだね。
だんだん自分を追い詰めちゃったんだね。真面目が故に、自分を許せなかったんだね。もう自分を許してあげてよ。
day91 フランスパン
パンを焼いた。
のぶがいつも私に「パンとか作れて便利」とか言っていたけど、いつも美味しいと言ってくれた。のぶは私の作った料理やパンを決してけなさなかった。美味しくない時もあったと思う。でも美味しいよ、ありがとうと必ず言ってくれた。
こんな人、滅多にいないと思う。いわゆる「神様に愛された人」なのだろうか。本当に世界的損失だ。
一昨日、浜松に行った時、遠鉄百貨店の中に入っている富澤商店に寄った。そこには有名なパン屋vironの専用粉トラディションフランセーズというフランスパン用の粉が売っている。フランスパンから直輸入で、一般的なパン用の粉より4、5倍お高い。しかも扱いが難しい。私のようなたまにしか焼かない素人には扱えるかはわからないけど買ってみた。
今日はお天気も湿度もフランスパン向きだったので、焼いてみた。仕上がりは成功とは言えないけど、味は美味しかった。のぶも美味しいって言ってくれたと思う。
本当に食べて欲しかったんだよ。
day90 月命日 (lさんからの電話)
今日はのぶの3度目の月命日。この世界からのぶが居なくなって3ヶ月が経った。
夜になって、電話があった。のぶの会社の同僚だったlさんからだった。
私はlさんに不義理をしてしまっていた。lさんにのぶの死を伝えたのは葬儀から1ヶ月も経った2月12日だった。
のぶの直接の上司Sさんには、のぶの死の翌日に電話して伝えていて、葬儀にも来てもらっていた。のぶの死は会社では少数の幹部と総務課員しか情報共有されず、一般の社員向けには「自己都合の退職」扱いになっていたようだ。
それでlさんから、のぶを心配する電話が2月にかかってきたのだ。それで初めて私はlさんに真実を伝えた。もっと早く言うべきだったと思う。ただあの頃の私は少なくとものぶの死を信じられなかったし、自分から誰かに伝える勇気も気力も無かった。
lさんはのぶと同い年で同じ部署の同じ係で、私よりのぶとは付き合いが長い友人だ。そんなlさんに不義理をしてしまってとても申し訳無くて泣けてしまった。
今日の電話は、のぶのお墓参りに行きたいから場所を教えてほしいと言う内容だった。本当なら私が実際に案内するのが筋なんだろうけど。来週、職場の人と行きたいのだと言う。とてもありがたい。のぶにはこんなに良い同僚がいたのに。
ああ私はのぶの不在を何一つ克服できていない。どうするのが良いのかわからない。lさんに申し訳ない。
day89 墓参(月命日)
3回目の月命日(正確には明日10日の前日)のお墓参り。
今日のお花は、暖かくなってきてお花の成長が早そうなので、蕾を多くした。ちょっと地味だけど、来週くらいには華やかになるかな。見れないけど。
子供の頃からいつも、お墓の前で何を思って手を合わせれば良いのかわからない。多くの人が言うように、感謝の気持ちでいいとは思うけど。のぶはいつも私といっしょに家にいると思う(お仏壇がのぶの家みたいなものだろうと思う)。じゃあお墓には今日一緒に来たのかな。車の助手席に乗ってた?お墓にはのぶのフィジカル(お骨)が納められているのは確かだ。
浜松方面にしか支店がない信用金庫に行って、ようやく最後ののぶの口座の解約。
急にとんかつが食べたくなった。とんかつはのぶの好物だ。思い切ってとん唐てんに行ってとんかつを(のぶと共に)食べた。
とんかつはのぶが亡くなってから初めてかな。一人じゃあほとんど食べることないもんね。
不思議と今日は、浜松往復が、寂しさより懐かしさの方が強かった。どこもかしこも知った道だけど、すごく懐かしい。浜松は今でも私の本籍地だしね。大好きな浜松。また来るから。
day88 続・捨てる
遺品整理についての続き。
孤独死する人は確実に増えていくだろうから、おそらく遺品整理の業者もこれから増えていくと思う。
もちろん私は今回初めて利用したのだけど、普通は2、3社で見積もりを取るものなのかもしれないけど、のぶの突然の死と遺族が私一人でやることが多すぎて、身も心も余裕がなく、葬儀社に紹介してもらった遺品整理の業者「まごころサービス」にお願いした。
浜松ローカルの会社で、結果的にはとても迅速丁寧にやってもらった。死にまつわる仕事なので、担当者も余計なことはいっさい聴かずに、それでいて心はこもっていたと思う。頼る者がない私にとってはとても心強かった。
のぶと私が借りていたマンションは3DK、54平米ほどの部屋だ。7年住んでいたのでほどほどに家財道具があった。ものはいっぱいあったと思う。
私の仕事道具や貴重品類、一部の家電家財(普通車のバン1台に乗る程度)以外は全て捨てたのだけど、考えるだけで気が遠くなる。
どれが要るものでどれがいらないものかの判断さえつかなかった。もちろん普通の引っ越しならそんなこともないのだろうけど、のぶの死から2週間ほどでの退去だったから、何もかも自分でやるには無理だった。なにせこの部屋に入る事すら、現実を突きつけられるようで脚がすくむ思いだったし。
冷蔵庫の中すらそのままで良いとのことだったので、のぶのなくなった日の夕ご飯になるはずだった食材も何もかもそのまま入ったままだった。テーブルの上の新聞も、椅子にかかったのぶのジャンパーもそのままで。
業者が家に来たのは2度だけ。最初の見積もりと、実際の作業日。私は、2人の生活が捨てられて行くのを見たくなくて、立ち会いはしなかった。作業中は、市役所に行ったり、浜松でできることをして時間を潰した。戻ってきた時には部屋は見事にカラになっていて、私の生活は全てがゴミに変化した。
悲しいとか辛いとか、そういう単純な言葉では言い尽くせない、無常というか、人生の儚さというか…人間は何のために生きているのかというような究極の問いみたいなものを突きつけられた気がした。
のぶは確かに生きていた。そして亡くなった。でもほとんどの人はそのことを知らない。私が死ねば、記憶はもう空気以下にしかならない。でもそんなもんなんだろう、人生て。
代金は20万円ほど。安いのか高いのかわからない。でも、一瞬の儀式でしかない葬儀が100万円かかるとすれば、かなりガッツリ消去した20万円かな。人間は消えるのにもお金がかかる。
しかし私にこの仕事はできない。とても感謝している。